言葉の不思議「ミ」
ミは中身が外にでているという表示です。中身のミです。右は神道では物質の意味です。左は反対に精神をしめします。実も身も本来は同じ意味です。ミがつく吉名の人は中身の濃さが外に現れ理知的で快活ですが、凶名だと中身の貧しさを外に暴露して歩いているような人となりかねません。
言葉の不思議「ヘ」
「ヘ」はものの仕切り目を表します。ヘダテルというのが良い例でしょう。ヘラスというのも隔てることから起こることです。変というのも他と隔てるからヘンという訳です。へこむというのはそこだけ他と異なって低くなっているからヘコムといいます。
ヘのつく吉名は他の人と異なり大変優れた人となりますが、凶名ですと変人頑固者としてけむたがられます。
言葉の不思議「フ」
フは増大の意味です。フクレル、フトルなどがよい例です。フエルというのは最もそれを表しています。このふえるというのを動きで示しますとフクレルとかフキトバスということになります。敵をふきとばすことをフセグといいます。フのつく吉名の人は物持ちになったり、増大の力がありますが、そうでない人はいささか乱暴で強欲です。あるいは逆にクヨクヨとした悩みの増えやすい人です。
言葉の不思議「ヒ」
ヒはもともと火のことです。ヒカリというのはヒが動く様で、ラ行の音は運動をあらわします。また火は水に対抗するものですから水が引く、干上がるというようにヒがつきます。火は日つまり太陽にも通じます。
広がる、久しい、秀でるなどの言葉も火や日に起因します。聖もヒがつきますがこれは「火知り」であり、華々しい知識の持ち主ということです。
ヒのつく吉名の人は知的ですが、凶名ですと落ち着き無く、人の話を聞かぬ人となります。
言葉の不思議「ハ」
ハは開く意味があります。花、原、畑、春、晴れなど有形無形の意味でどれでも開く意味があります。歯、葉、羽などは生えるという表現で形容されますが、これも開くの変形です。既に内在されているものが出るという事です。開けば内包されているものが外に出ます。
ハが付く吉名は溌剌として進取の気性にとんでいますが、凶名だと軽率で秘密の守れぬ人になりがちです。
言葉の不思議「ノ」
ノは伸びるという意味合いを持ちます。ノンビリ、ノウノウ、ノコノコなど、どれも緩慢で伸びやかな様をいいます。ノケゾルは体を伸ばしてひっくり返ることです。呪いというものもノがつきますから、ずーっと祈ることです。雑念がないと呪いになりません。神主さんの祝詞も同じように長く唱えるのでノリトです。残るというのもある時間とどまるからノコルというのです。呑むも長く喉を通っていく様ですね。だから動物でも長いヘビなどは食べるのではなくノムということになります。
ノの付く吉名の人はノンビリした鷹揚な魅力があり、泰然と落ち着いています。凶名ですと落ち着きはなく、ノンキで何事も後手後手に回り手遅れということになります。
言葉の不思議「ネ」
ネは根っこのネです。つまり物事の核と申しますか、根幹の部分がネです。値打ちのネも物事の真価をいうものですね。寝るは根源の意識の世界へ帰る事が寝るということです。根源へ帰っていないと「よく寝れなかった」ということになります。音という字もネと読みます。これはやはり物事の本質が実は波動であるからで、波動は音です。つまりネです。これは最近の先端科学がそう申しております。
神道でいう禰宜さん、神職さんもネギですから本質を切り出す者の意味です。キの音は前にも説明しましたが、ものを切る意味です。食物の葱のほうは根を切って食べるのでネギです。ネのつく吉名の人は物事の本質を見抜く力を遺憾なく発揮します。逆に凶名だといわゆるネクラな人になります。
言葉の不思議「ヌ」
ヌは抜け出すことを音にしたものです。掴み所のない様子、縫って進む様もヌです。ヌラヌラとかヌルヌルとかいうものもその表現です。良い方に抜けていればズバヌケているといい、悪い方ではただヌケているといいます。ヌクヌクと育つというのもこれという辛い目にもあわずにきた場合いいますね。これも一種の他より抜け出た状態です。
ヌマはヌルヌルした淀んだ水が溜まった状態です。澄んだ水であれば泉で沼ではありません。ヌの付く吉名の人は融通無碍で実に処世術に巧みです。凶名だと抜け駆けの常習犯でルール無用の悪人や怠惰で非現実的な夢想家となりかねません。
言葉の不思議「ニ」
二の字の形からわかるように、ふたつのものが寄り添う形です。「荷」は同じものを重ねたものが「荷」です。「似る」というのも似るのは寄り添うことから似てくる。つまりは接触しあうことによるのです。濁る、煮るというものも互いが混ざることでしょう。憎いというものも二がつきますが、これは互いに相手に喰いこまんとする気持ちです。
二のつく吉名の人は親しみやすく交際上手ですが、凶名だとやたら馴れ馴れしく干渉がましい難があります。
言葉の不思議「ト」
「ト」はとどまるのトです。「泊まる」もトが付きますし、「止まる」も同じことです。「遠い」も目標がとどまった状態をいうものです。いわば不動の一点をいうのがトです。同じように集中力をあらわす「敏(とし)」「利(とし)」にもトが付きます。「時」というのも一刻たりとも止まることのないものをあえて概念としてまとめるためトをつけて止めてあります。トのつく吉名の人は集中力、決断力にとんでいますが、凶名ですと短絡的で視野のせまい執着となって現れます。
言葉の不思議「テ」
「テ」はものの出る意味です。「手」も前にでるのでテといいます。「照る」は光の出る有様ですし、「天」は太陽、月、星などあらゆるものの出る空間です。「テ」のつく吉名の人は積極性に富んでいます。逆に凶名の人は無遠慮で図々しく思われがちです。
言葉の不思議「チ」
「チ」は霊的なものを意味します。イカズチ、ミズチ、オロチなどおよそ古代の神々を表すものは「チ」がつきます。それら全てを生む、最も大いなるものは「地」であります。
「チ」は血でもあり、最も神聖なものの意味です。父は血を継ぐ系譜ですからチチといいます。誓いは血交いであり、霊をかわすような重要な決め事をいいます。チのつき吉名の人はその先祖の徳をいかんなくあらわす事ができますが、凶名の人はかえって悪因縁を多く出すものです。
言葉の不思議「タ」
「タ」は高いに代表されるように、そびえ立つ意があります。猛々しいというのも他を圧する勢いですから「タ」が付きます。楽しいのタ、楽しいと舞い上がり、伸び上がる心になりますね。タが折れるとタオれることになります。タのつく吉名の人は堂々として勢いがいいです。凶名ですとプライドが強すぎて周囲に疎まれます。
言葉の不思議「ソ」
「ソ」は身体感覚が快い意味合いがあります。「添う」というのもそうですし、「ソヨ風」の「ソ」もそうです。「爽快」というのも「ソ」がつきます。英語ではありますが、「ソフト」というのも「ソ」がつきます。それと「ソ」には「高い」という意味もあり、「そびえる」「そそりたつ」などがそれでしょう。「空」も高い意味から「ソ」がつきます。
言葉の不思議「セ」
「セ」は「背」「瀬」などのように高くなっているところをいいます。水などが押し寄せると高くなりますから、押し寄せたりする事の類語「せまる」も「セ」がつきます。胸が「せまる」とでるのが「せき」です。
高くなった波を止めるのも「セキ」です。入口が「せまい」出入りを制限するものは「関所」です。
「セ」のつく名の人は良名の場合押したり引いたりかけひき上手です。凶名ですと「せっかち」で見識が「せまく」なります。
言葉の不思議「ス」
「ス」は統一の音です。中心を示します。また物事がキレイに形作られる音です。
素晴らしい、素敵、などはいずれも中央にまとまる音の表現です。胸がスッーとする。これも滞りがとれて、きれいな形になるからです。酸っぱいのスも同じです。
酸っぱいの「ス」は「スッー」となるからスが付きます。「吸い取る」のス、「澄む」のス、いずれもきれいになる形です。「ス」のつく人は文字通りすっきりしています。しかし、悪名ですと素っ気ない人、人を無視する傲慢の人となります。
言葉の不思議「シ」
「シ」は陰の気を表す音です。「静か」「沈む」「湿る」などにみられる通りです。同時に収縮の音であり、「締まる」のシです。シーッと言えば音をたてるのを止めろという意味ですね。音が収縮しておさまるためです。
「静か」ということは同時に「沈む」ということです。また、「沈む」は下方へ運動をさします。「死ぬ」は死んで体が沈み重くなること、静かになってしまうこと。「布く」も下方への運動です。「下」自体にも「シ」がつきます。「信じる」も心が静かになることです。心が静かでないのは「信心」ではありません。
言葉の不思議「サ」
「サ」は「さっぱり」のサ、「さよなら」のサで「サわやか」の形容です。「さばけた人物」などのサも同じでしょう。「悟り」のサも心のもつれや、煩悩がサッパリすることですから、「サ」が付きます。この「サ」を隔てると「サへぎり」になって障害となります。花が咲くのサ、栄えるのサのようにさっぱりとしたところ、滞りの無いところは繁栄します。
「サ」のつく名前の人は吉名ですと、それこそこだわりなくサッパリとした人で、爽やかな人ですが、凶名になりますと、「サツバツ」とした人になって情緒に乏しい人間になります。「サみしい」のサで孤独の人となります。
言葉の不思議「コ」
コはものが凝るなどに代表されるカタマリを意味します。個、弧、固など全てコと読むものはカタマリです。心も存在といってもモノではなくカタマリなのでココロといいます。苔も岩にできるカタマリです。焦げるもモノがこげついている有様です。恋も人を思って心が困ってしまうのが恋でしょう。コトバはカタマリの「コ」と止める意の「ト」、それに聞く意の「ハ」の重なりです。ものの意を止めたり開いたりするのがコトバでしょう。コのつく名前の人は心がカタマリやすい弱点があります。つまり意地になったり、ものに夢中になったりしやすいので、この点を注意する事です。但し、カタマルということは一つの力でありますから、集中力は強いと言えましょう。
言葉の不思議「ケ」
「ケ」は微かなるものを表現します。毛、化、気はいづれもケと読みます。気は「酒の気」、化は「ものの化」などといいます。気配の気も同じ使い方でしょう。「消す」といういのもだんだんカスカスして無くしていくことを言います。煙も「気が群れる」のでケムリです。火の気が群がる意味でしょう。ケのつく名前の人は微かですから、佳名の人は表面上サッパリしています。しかし、悪名の人はなかなか諦め悪く、もの習気(じっけ)がいつまでも残るように内心は外見に反する人が多いようです。ケのつく人は執着心を戒めねばなりません。
言葉の不思議「ク」
「ク」はクム、つまり「組む」ということに代表されるように、集合、団結を表現します。区別のクもそういう集まりをわけるものといえましょう。クう=食うとは上下の歯が組まれてできる行為です。水を汲む=一定の量の水の集まりを入手することですから、やはり「ク」がつきます。苦しい=一定の場所へ押し込められる事です。名前に「ク」がつく人は、良名なら団結力強く、人情の厚い人です。凶名ですと、執着心強く、依頼心の多い人になりがちですので注意しなくてはいけません。
言葉の不思議「キ」
「キ」は切る、極まるといった物事の極限をさします。また物事を切り捨てる意味もあります。従ってキヨメルとかキヨラカというのも不要なものをドンドン切り捨てる事を本来とします。また「キ」は極めて勝れ、強い物をさしますから、気とか鬼も同じ音になります。貴族のキ、キングのキ、音霊は世界共通です。凶とか恐とか、狂のようによくはないけれど猛威あるものにもキがついています。狂った人を悪い言葉で「キ印」などということがあるようですが、○○キチガイなどとつくと一種のホメ言葉でもありましょう。これなどもやはり物事を極めるという意味が含まれています。キのつく名前の人は他人をドンドン切り裁いてしまう事があります。パワーがあり強い名前ですがこの点注意すべきでしょう。孤独になってしまわないことが大切です。
言葉の不思議「カ」
カは幽かのカ、空のカ、霞のカで幽玄の意味があります。つまり微妙不可思議の音なのです。「カミさま」の「カ」も同じこと、「カラダ」の「カ」も同じで人体は不可思議なものということです。仏教でいう「空(くう)」もカラと読みますね。微妙の意味があり、意識しないと捉えられないものも「カ」がつきます。カブラ、カメ。カエルなど低い所にはえたり生きている動物がそれです。隠れる、かする、掻くなども微妙な動作を示します。
言葉の不思議「オ」
オは拡大の音です。オーという音は威力や雄大さ、壮大さを含みます。オオキイのオ、オオラカのオです。その威徳を表現する為にはオをつけて丁寧に申します。もう一つは長くのびるものもオです。狐の尾のオ、オスベラクシ(昔の女性の髪型)のオ、玉ノ緒のオ、玉ノ緒は命、霊魂のことです。霊魂は長い尾があるのです。それで肉体とつながっています。これが切れると臨終です。亡くなる人は既にこの緒が切れています。そうするともう助かりません。オシマイのオとなります。尾がお終いになるのです。オは生命の震動音の中で最も大きいものです。これが終わると肉体生命の終了です。
言葉の不思議「エ」
「エ」は分割、分離の分霊です。エイッという気合も、ものを切る、決断するなどという時に出るものです。「選ぶ」のエも同じ働ききです。ものを分けてこそ選べる訳です。分かれて出ているもの、枝のエ、柄のエ、それから分かれて出た土地に囲まれた海は江です。「江ノ島」は陸地から分かれて出た島の意味です。「偉い」のエも、他の多くの人より分かれて勝れた者についていう言葉であります。
言葉の不思議「ウ」
ウは内の意味で、内で働く、未だ外にあらわれぬ働きです。ウ〜というとその後で何か言いたい時です。「海」は動く水でウミと言います。亦、ウは自然と浮きでるウです。自然の変化です。ウツロイ
のウ、ウラサミシイのウ、ウは何となく察せられる日本的な情念、心の世界です。「ウ」は「イ」より長い忍耐を表します。
言葉の不思議「イ」
イは生きるのイであり、生命の根源を表す言霊です。「威」というのも、生命の力が感じられる時につけられる言葉でしょう。威厳のあるといったものは生命が強く出ているといったものと同じ事です。イはエネルギー爆発寸前の状態です。かけ声でもヤーといわず、イヤーというと力強い。イズナ様も生命(いのち)の綱の神様ということですから、お姿もいかめしく怖い感じです。イの音は力がほしい時、ここが我慢のしどころという時に力を出します。生命のまた外へ向かって拡散していく性格があります。これが「イ」の働きです。
言葉の不思議「ア」
アは世界の始まりを示す言葉です。赤ちゃんの産声、それから神社の狛犬もア形と
いって口をあけているのが必ずいます。仏教では仁王様も同じように一方が口を開い
ています。密教では胎蔵界といって世界の発生の根本、宇宙の原初をアといいます。
アは赤いのア、明るいのア、アハハという笑い声のアであり、出現、解放の言霊(ことだま)です。「アーッ」という時、自然と手を大きく、足を開きたくなる。これが
発散、発現の証拠です。暗くなりがちの人は「アー」と長く声を出して手足を大きく
広げましょう。陽気が満ちてきます。アマテラスオオミカミ、アミダ仏など貴いもの、至上のものにはアがつきます。
羽田守快先生 略歴
1957年、東京都出身。1979年、天台宗大福生寺・白戸快昇師の室に入る。以後、園城寺、延暦寺、信貴山玉
蔵院等で伝法を受ける。現在、天台寺門宗本山布教 師。修験正先達位 。金翅鳥院、大慈光教会住職。著書に『行者祈祷秘巻』『五軆加持
秘法鈔』(いずれも青山社)他がある。
